Kojiさん、こんにちは、Miuです。
(皆様、私信モードで失礼します。) > Miu様へ > Miu様、こんにちはです。はじめまして。Kojiの前のKojiです。 > Kojiを飛び越えてほぼままなわたしにて失礼いたします。 > > Miu様、ありがとうございます。 > わたしは歌います。 > わたしが認知しうる全てのものだけでなく、すべからくみんなのために > みんなの守りたいものが救われること想い、歌います。 > > 何もなくなりません。きっと何かを得ることと思います。 > 最後(リミット)の瞬間を迎える前に歌えたことをうれしく思います。 > Miu様に最大の感謝の気持ちを捧げます。 > ありがとうございました。 > > そして皆様、皆様が守るものが、救われますように。
Kojiさん、が何を得られたのかはわかりませんが、 なにかお役に立てたのならうれしいと思います。
お返事をいただいたお礼のしるしとして、もう少し付け加えますね。 わたしと、Kojiさんとの解釈の異なる部分を。
わたしは、多分、誰も他のものを”救う”とこは出来ないのではないかと 思っているところです。
ある人が、仮に他の人のなす行為で”救われた”という気持ちになったとしても、 それは、もとからその人の中に、その問題についてこの答えをはじめから持っていて、 他のものの想いによってそれに気づくことができるだけなのだろうと。
そしてその他のものというのは、直接そのひとと関わった人ばかりではないと。 ある人にそのきっかけを作ったのは、 それは世代と時間を超えてそのひとのもとに届いている 全てのものの想いの全部で一つの結晶のひとつなのだろうと。
だから、本当は、わたしにお礼をいうことではないのです。
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