■投稿者/ 佐分利 冬紫晴
■投稿日/ 2000/12/17(Sun) 05:05:47
□URL/ |
EYE96さんへ 実はまだ、Sランククリアしていないので、その「史実」を知らないわけで ……私が知っているのは舞が熊本城戦で死ななかった世界だけなんですよね。
何となく、観測問題みたいですね。シュレディンガーのネコは、見れば いいんです。そうすれば生きているか死んでいるかわかります。私達は動く者 であることを考慮に入れなければなりません。 それとは別に、ハイゼンベルグの不確定性原理は「電子の正確な位置と 運動量を同時に正確に決めることはできない」(素粒子を観測するために エネルギーを当てると素粒子の位置がずれる)というもので、確率論の話 ではなかったりします。 ただし、これはあくまでも量子論的なレベルの話であり、エコロジカル レベルではもちろん、ある動物の正確な位置と運動状態は同時に正確に 決められます。 後で述べますが、それはもちろん計算でも出せますが、生物は計算など 全くせずにそれを直接感じ取っているというのが私の立場、生態心理学の 立場です。
ところで、あげていただいた1〜4の例の中では、このことについての説明が 為されていません。
> もうひとつの例は、バンジージャンプです。 > なぜ躊躇するのでしょう?怖いからです。 > なぜ怖いのでしょう?落ちて、もしかしたら死ぬからです。 > なぜ、そんなことがわかるのでしょう?まだ起こってもいないのに。 > この時、私は間違いなく致命的な未来を特定しています。 > 紐がついているから大丈夫と言われようが、どうしてもそれは特定されて >しまいます。 > それはたぶん、私にかかっている重力と視覚から得られる落下距離、 >そこから感じ取れる地面に激突するときの衝撃と自分の硬さから特定されて >いることです。 > このようなレベルでは、未来予測は十分可能です。修正したいなら、 >行為しなければいいだけのことです。だから躊躇しています。 > 私に躊躇させているのは、現在へとやってくる未来からの情報と言えるの >ではないかしら?まだ起こってもいないんですから。
*最後の2行は言葉遊びで、実際には「持続する現在」の情報です *また、一言付け加えるのを忘れていました。このことに計算は必要ありません
これについて、認知科学などではこれを、環境からの一つ一つの刺激を元に 脳が計算して一つの判断をする「統合モデル」を使っており、それは元はと 言えばコンピューターのロジックをそのまま生物に適用しているわけです。 しかし、「危険に近づかない」という判断は、脳を持たないゾウリムシの ような生物ですら行っており、彼らもまた行為レベルにおいては「完全な 未来予測」を行っているはずです。そうでなければ、生物は移動しながら 出会う危険に対し全てぶつかってしまいます。有り体に言えば、私達は 渋谷で人や自動車を避けながら道を歩くことは、統合モデルでは不可能 なんです。「フレーム問題」に当たってしまいます。 それを解決する方法としては、私達生き物は環境(世界と言い換えましょうか、 ここでは)を「直接知覚」しているというものです。 この時、過去から未来へと流れていくというリニアな時間概念を捨てる 必要があります。外伝にもありましたね、「これはかつて起こっていたこと であり、今起こり続けていることである」……大事なことは、「起こり続けて いる」、持続しているということです。その持続さえ特定できれば、 過去も、現在も、未来もなくてよいのです。
時差という言葉そのものがドツボに陥らせるトリックである可能性があります。 時間−空間概念でこの問題に当たっては解けないんではないかしら。
さて、ここでの話に則って「第5,第6,第7世界という時間の進み方が 異なる世界がある」ことを規定しましょう。そしてそれらの時差が測定され ることから、おそらくそれらが点在する外側の系があり、そこにはそれらを 内包する時間がある(第5,第6,第7に対して絶対の時間)があることも もうひとつ考えておきましょう。そして生物はその外側の時間に絶対的に 動くとします(ここに大きなトラップがありますが、こうせざるを得ません。 これを乗り越える方法は私にはいまのところありません)。 このとき、持続する時間のスケールが異なることがわかります。そうです ね、例えばネズミの心拍数と動き方VS人の心拍数と動き方みたいなことを 考えてみましょうか。そのあとで(相対的に)「時間の進み方」の異なる (実際には持続のタイムスケールの異なる)世界に話を戻しましょう。 ネズミの「一生」という持続はヒトのそれより圧倒的に短いわけです。 すると、私達にとっての1日と、彼らにとっての1日は、寿命との比で いえば圧倒的に長さが異なり、ヒトはネズミより圧倒的に長い単位で 持続を知覚することになります。 これと同じで、「時間の進み方」が遅いところで過ごしていると、それの 速いところで起こる持続について、圧倒的に長い持続を知覚できることに なります。これを使うと、「時間の進み方」の速いところにしかいない者に とっては恐るべき先のことを「直接知覚」することができるようになります。 しかし、それはもちろん「まだ起こっていないこと」ですから、自分や ほかの動き(行為)を制御することによって当然避けられます。また、十分な 知覚のための探索が行われていない場合、まあつまり「不慮の事態」がその 持続を変化させた場合、もちろん結果が異なります。高い崖から下を見下ろして いるのと同じです。「飛び降りる」なら「何月何日、何時何分墜落死」という 歴史が「直接」書けます。 しかしこの「史実」、ただ単に特定された情報に過ぎませんから、もちろん 起こらなくても構わないわけです。「史実」が予言であってすでに起こって しまったことではない以上、その経路から外れるように、生き残ることを 特定する経路にのせればそれは起こりません。逆に生き残る経路にのらない 限り、その「史実」は特定され続けます。その意味ではそれは「史実」として 予言可能であり、そこから外れることができるものです。
これは、未来の操作などではなく、いくつもある行為からの選択の問題です。
環境にある情報は何だって特定し得るんです。その特定は、知覚行為者と 環境の協調(ここでは同調と言っておきましょうか)によります。協調が 起こっているので、同じ環境から異なる情報が特定されるのです。
脱線しましたが、別に将来のことを確実に特定する情報があるからと言って、 それに拘束されることはないんです。逆に、その情報と同調することによって 私達は例えば危険を避けるのです。あるいは、危険に自ら突っ込むのです。
そして、現在起こり続けている持続から特定される未来から外れてしまう ような、持続を破ってしまう者をOVERSと呼んでいいのかもしれません。
ま、しかし、このゲームはエコロジカルなものではないですから、そろそろ 私の出番はないですね。私の扱うことは机上の空論ではないので…… 本当に書かなきゃならない論文もあるし。
|
記事NO.3156 のレス /
END
削除チェック/
|