横から失礼いたします。 佐分利“戯れ言使い”冬紫晴と申します。
このゲームにおいてどのような経緯で“第6トラップ”(完全な未来予測の 可能性)が出てきたのか、まだわかりませんが…… まず、私の持つ結論から行きましょう。演繹的に。
自然現象レベルにおいては、EYE96さんの計算モデルが成り立ちます。 このレベルでは、少なくとも(同じ系内にいる)ヒトにとっては事実上不可能です。 ただ、バンジージャンプを飛ぶのをやめるくらいはできます。
行為するものというレベルにおいては、 未来から現在に向かう、特定時の未来を特定する情報というものはあるのでしょう。 それも、ゲームの世界ではなく、現実として。 タキオンなど必要ありません。 周囲の世界を感じ、行動すればいいのです。
つまり、「未来の史実」は
「予測可能である」からそうしてそこにある
というよりも、
それは私達が向かうゴール(目的地)であり、
そのゴールは、そこに向かおうとする行為者に対して、 「世界」(環境)を探索しながら移動する経路……ゴールにたどり着くための 経路……を特定するための情報をもたらす、 ということです。
そして、ゴールはいくらでもあり得ますが、 私達は意図を持って、そのゴールの中で最適なものを選択している ということです。
まず、お話の世界においての未来確定操作じみたものを引用します。 Lewis Carrol“Through the Looking Glass”(邦題「鏡の国のアリス」) Chapter 5 “Wool and Water”からいくつか。(ここには“every other day”を用いた論理トラップのようなものがあって、とても面白い) 英文を引用するのは面倒なので、日本語で要約します。
白のクイーンが言うことには、後ろ向きに生きれば(living backwords) 未来、過去両方に記憶が働く。例えばそれは一週間後に起こった出来事で ("Oh, things that happened the week after next")今、白のキングの メッセンジャー(帽子屋)がある罪で捕まって牢獄にいる。裁判が始まる のは次の水曜で、帽子屋が罪を犯すのはもちろん最後である…… とのこと。(罪を犯さないのだとしたら、それはそれでいいことじゃと) その話をしている最中に、白のクイーンは指に絆創膏を貼り、リボンで ぐるぐる巻きにして、突然(痛みに)悲鳴を上げ指から血が出て、最後に ブロ−チをつけ直そうとして針が指に刺さります。
後半の「指から血」の話はあり得ませんが、こんな風に言うこともできます。 白のクイーンは、未来に対する記憶から情報を得てまず指に絆創膏を貼って います。まあここはいいとして、指から血がでてきます。そして、痛みます。 これは何かを特定しているとも言えます。これは将来指に針が刺さることを 特定する情報ですから、それを達成するには白のクイーンは指に針を刺せば いいのです。つまり、指から出た血は白のクイーンという行為者に針を刺す という行為の経路を特定するわけです。 なんだそりゃ。
前半の「罪を犯す前に裁判をして、さらにその前に罰を食らう」とは、 このように言えます。まず、無作為でいいですから誰かを牢に2週間ほど 入れます。次に、どんな罪を犯したのか(犯すのか)を裁判によって特定 します。あとは、つかまった人が罪を犯せばいいだけです。別に犯す必要も ありませんが、それでは設定されたゴールは達成できないわけです。つまり、 未来は変わってしまったと言えます。
ここまでは想像の話ですが、ここからちょっと違う話をします。
朝起きて、学校へ行きます。
この例には、「未来の史実」つまりゴールが設定され、その設定された ゴールからそこに向かうための情報が私……行為者にもたらされる、という 最初にあげたことが全て含まれています。 行為者たる私は、それを達成するためにそれに向かって行為すればいいのです。
例えばガンパレでは、朝8:45の始業時間に間に合うように、教室に向かいます。 この時のゴールは、「8:45に教室にいる」です。 この時、実はいくらでも経路が考えられます。時間的に言えば壬生屋さんの ように1時間前からいてもいいし、プレーヤーや滝川のようにぎりぎりに行っても 構わない。もしゴールを「8:45丁度に教室に入る」に設定したときには、通る 道筋の道のりから自分の歩く速さを調節して、8:45になると同時に教室に入れば いいわけです。この時の道の選択しも十分にあるわけです。どんな道を通っても いい。 ただ、その中からある一つの行為が選択され、そのゴールが設定される わけです。 これらは全て、最初に設定したゴールによってもたらされる情報によって 特定される経路の一つです。 そのような、未来設定から得られた情報から導き出される経路の中から、 行為者たる私は「最適」であるものを選択し、その経路をたどるわけです。 外れていればその経路に合うように修正すればいいのです。遅れそうなら 走ればいい。余裕ならゆっくり歩いても、道草喰ってブータと戯れても いいわけです。
経路をたどり、その未来を達成できるかどうかは、行為者の行為によります。 どのような行為をするのかを常に探索しながら選択し、そのゴールを達成する ように行為するわけです。 この時、行為者は向かうべき未来のゴールから特定される情報を常に感じ ながら、そこに向かうわけです。 もちろん失敗もあり得ます。時間を設定してしまうと逆戻りする修正は 不可能ですが、例えばコップに7分目の水を注ぐと行ったような未来設定で あれば十分修正可能です。足りなかったら足せばいいし、多すぎたら捨てれば いい。 坂上や速水の言うところの「線」が見えるというのも、この経路と言えます。
もうひとつの例は、バンジージャンプです。 なぜ躊躇するのでしょう?怖いからです。 なぜ怖いのでしょう?落ちて、もしかしたら死ぬからです。 なぜ、そんなことがわかるのでしょう?まだ起こってもいないのに。 この時、私は間違いなく致命的な未来を特定しています。 紐がついているから大丈夫と言われようが、どうしてもそれは特定されて しまいます。 それはたぶん、私にかかっている重力と視覚から得られる落下距離、 そこから感じ取れる地面に激突するときの衝撃と自分の硬さから特定されて いることです。 このようなレベルでは、未来予測は十分可能です。修正したいなら、 行為しなければいいだけのことです。だから躊躇しています。 私に躊躇させているのは、現在へとやってくる未来からの情報と言えるの ではないかしら?まだ起こってもいないんですから。
未来の史実は、確定しているのではなく達成されるものであり、 選択によって達成しなくても別に構わない。 その選択は、まだ起こっていない未来を特定する情報を使うこともある…… その選択を行うのは、行為者たる動物、ヒトである……
なんだそりゃ。
どうでしょう? |